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このブログ記事は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

何者であるかということ

もともと同じ職場でもう転職してしまった元同期と近況報告がてら2人でのみにいった。

当時同じ部署にいてAndroid開発を担当していた。しかし、元同期といっても、研修後すぐに辞めてしまったので、あまり職場のカラーには染まってない様子だった。今はRailsのエンジニアとして働いているらしい。僕も偶然にも今Railsエンジニアをしてるよ、とかm思い出話に花を咲かせているうちに、そういえば、あいついまなにしるの、と訊いてきた。あいつってのは、3人でつるんでいたもう一人の同期だ。

僕はまだそのもう一人の同期とはランチを一緒に食べるし、今はもう違う部署に異動になったとはいえ、仕事のことも事細かに聞いているはずだった。でも、何をしているか、という質問に対して、簡単には答えられなかった。もと開発ではあるが、今は開発をしていない。そもそもうちの会社の開発ってのは、多くのSIerが意味するそれで、要するにエンジニアなどではなく、単なる外注管理だったりする。でも、それでもない。営業でもなければ、SEでもない。この男に彼が今何をしている人間なのか、どう説明していいかわからない。

果たして、この話を後日同期に伝え、何を仕事としているのか聞いてみたが、やはりわからなかった。営業、SEと開発の橋渡し的な窓口をしているらしい。よくわからない。

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SIerではあるものの、仮にも開発会社に身を置いていながら、自分の立場をひとことで言い表せないのは、もどかしいものがある。もどかしいというより、自分の存在意義に疑問を呈さざるを得ない。

僕も前の部署にいたときはそうだった。開発にいるものの、やっていることは外注の管理だった。では、仕様決めなど上流工程を担当していたかというと、そういうわけでもない。仕様は仕様で決めるチームが別にあるのだ。かといって、プログラミングはもちろん、設計をするわけでもない。外注管理というからには、開発リーダのような任を負っていたかというと、それは先輩がやっていたのだ。当時も自分が何をやっている人間なのかと自問してみたが、「開発事務」だな、と結論づけた。様々な開発にまつわる雑用をこなす人間、といった意味だ。あまり開発のたのしさを得ることができていなかったし、当時もそれで悩んでいた。

今は、運良くいわゆるエンジニアとしての仕事をでき、存在意義を得ている。何をしているかと訊かれたらエンジニアをしていると堂々と、簡潔に答えられるだろう。

では、当時の僕は存在意義はあったのだろうか。誰かの仕事のための仕事をしていたといわざるを得なかったのではないだろうか。あるいは自分の部の仕事を守る仕事だったかもしれない。しかしそれを議論するには若すぎたのだった。

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転職していった元同期は外資系でしかも規模感も僕らの会社よりも小さなソフトウェア会社で働いているらしい。立派にエンジニアとしてだ。そんな彼に、もはや我々の業務やひいては会社の中での存在意義を伝えることは難しい。

一方で何をしているか毎日顔を合わせている僕でさえ説明が困難な同期が、社会からもネグレクトされるのではないかと危惧するばかりなのだ。