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ソフトウェアとビジネスの狭間

Hackernewsみてたらこんな記事が。

news.distrokid.com

ソフトウェア書きとしては気持ちのいい話だ。特にこのご時世、JASRACの話とも相まって、相乗効果的にその印象が強まってくる。

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まあ、音楽面の話はさておき、ソフトウェアを書くことの価値とはなんだろうかと思うことがある。実際会社でソフトウェアは書いているけれども、それを責任もって事業化し、売上げてくれるのは別の部署の人たちだ。我々開発者がそのソフトウェアについての価値について直接考える機会はほとんど失われてしまっている。逆に我々に求められているのは品質やコスト、納期であり、いかにバグのないソフトを安く早く作るかということに主眼をおいている。それはそれで開発に集中できるのでいいのだけれど、ときには俯瞰して考えたい。

そもそもソフトウェアの価値とはなんだろうか。

古来、というより、欧米でよく言われる「ドットコムバブル」の時代、あるいはさらにその前時代、ソフトウェアの価値は複製の容易性にあった。一度ソフトウェアを書いてしまえば、ほとんどコストの無視できるメディア代だけで価値を増幅することができたのだ。それまで存在いたあらゆる製品は、生産に大規模な設備を要し、流通経路を確保し、顧客に届けなければならなかった。これがソフトウェアではほとんど無視することができたのだ。

さらに現代、更にその仕組は強化され、ほとんど物理的な物流に依存することなく、ソフトウェアの価値を顧客に提供することが出来るようになった。顧客にはプラットフォームとなるハードウェアすら準備する必要がなくなったのだ。そのため、顧客はほとんど設備投資する必要なく、ソフトウェアを手に入れることができるようになった。

しかし、おそらくソフトウェアを開発する総コストは根本的に変わってないというところに注目しなければならない。

あらゆる技術の革新でより早く高機能なものを顧客に提供できるようにはなってきている。しかしそこに投入するエンジニアのリソースは変わっていないように思える。顧客の要望も技術的革新に追従し、ハイレベルなものになってきているためだ。結果として、ソフトウェアをビジネス化するには、より少ない生産量で、より多くの顧客をかかえることが重要度を増すようになってきたのだ。

ここで僕は自分を振り返りたい。自分は開発としてこのソフトウェアの優位性を理解し、仕事をしているだろうか。誰か特定の顧客のためだけに愚直に価値を提供してやいないだろうか。

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上記記事では、ほとんどの定形業務を自動化することにより極端に少ない人数での業務のオペレーションに成功している。言葉でいえば単純だが、自動化はソフトウェアの得意とする一分野であり、さらにそれをうまくスケールするところまで成功している。また、他のサービスと異なるのは、これが既存産業をおびやかしにかかっているところだ。強力な既得権を置き換えにかかるその様は、きっと開発者本人も予想しなかったことだろう。